あれは小六の頃だったか、当時中二のヒロシくんが「アライグマにしゃかしゃかやられてみ?めっちゃ気持ちええで」と教えてくれたのが最初だったと思う。好奇心に駆られた僕はその夜風呂に入りながらなぜか親の目を盗んで、生まれて初めてアライグマにしゃかしゃかやられてみた。ただ、行為の後、経験したことのない快感とともに、なぜか軽い罪悪感が心の中で澱のように残っていたのを覚えている。一所懸命しゃかしゃかやってくれるアライグマに対して。
 当時の世の中の風潮としては、「あんまりアライグマにしゃかしゃかやられると精神衛生上良くない。もっとスポーツで汗を流しなさい」というようなものだったと思う。今となっては根拠のない話だったのだろうと思うが、改めて思うと、あの頃、来る日も来る日も毎日、ときには日に何度も、僕の代わりに汗をだらだら流しながらしゃかしゃかやってくれていたアライグマの心中が慮られる。今の中高生も同じように、アライグマの気持ちも考えない大人たちに「アライグマじゃなくてスポーツで解消しろ」などと言われているのだろうか。。
 僕は毎日のようにアライグマにしゃかしゃかやられながら、時折父親のことを考えた。「僕もオヤジくらいの年になったら、たぶんアライグマにしゃかしゃかやられることもなくなっているんだろうな」と。そして今現在、僕はあの頃の父と同じような年齢になっている。そこで今思うのは、「男というものは、いくつになってもアライグマにしゃかしゃかやられるのはやめられない」ということである。ただ、おなじアライグマにしゃかしゃかやられるにしても、闇雲にしゃかしゃかやられてきた十代とは違うことがひとつある。つまり、この年になって気付いたのだが、最近アライグマにしゃかしゃかやられるというよりは、アライグマ「が」しゃかしゃかやるようになってきたということだ。たぶんアライグマにしても、僕には伺い知ることの出来ないなんらかの使命感に、今になってようやく目覚めたんだろう。