不貞腐れてばかりの十代を過ぎ分別もついて年をとった今、過去の自分と現在の自分とではいったい何が変わったのか。
 簡単に言えば、「冒険をしなくなった」という言葉に尽きると言える。つまり、「日常からの逸脱」を避けるようになってきたのである。いつも同じ時間に目を覚まし、いつもと同じ時間に出勤し、いつもの仕事をこなし、いつもの電車に乗って帰宅し、そしてもちろんいつも同じ時間に眠る。この日常に「冒険」の要素など欠片もないではないか。こんな今の状態、「小さくまとまんなよ」と本城裕二に説教されてしまってもしょうがない。
 それゆえ今後の人生のテーマ、それを「日常に冒険を!もしくはスリルを!あるいは反逆を!」とすることにした。


 たとえば


 仕事から帰宅すると、とりあえず風呂場に直行することにしている。スーツを脱ぎ、ネクタイを外し、ワイシャツとボクサーブリーフそして靴下のまま浴室に向かう。そして脱衣所に置いてある洗濯機に着ているものを脱いだそばから放り込んでいくのである。ワイシャツを脱ぐ。放り込む。次にTシャツを脱ぐ。放り込む。そして・・・
 と、ここに「冒険」のヒントがあることに気付いた。いつもなら先に靴下を脱ぎ、そしてボクサーブリーフを、とするトコではあるが、ここでおもむろにブリーフを先に脱いでみた。つまり「裸靴下」としてみたのだ。
 古来「裸靴下」なる姿については「その立ち姿、これすなわち神聖にして侵すべからず」と称されているのは周知の事実であるが、いざ自分がその姿になってみると、その言葉が実感となって胸に迫る。
 そしてこの裸靴下・・・その姿はまさしく「冒険」と呼んでもよいのではないだろうか。「日常からの逸脱」に成功したのではないか。そう思った刹那、別のひらめきが頭をよぎった。「片方の靴下だけ脱いでみっか?」すぐに実行に移した。
 冒険度はさらに高まった。そしてまた更なるひらめきが。「この靴下半分だけ脱いでみちゃおっか」もちろんすぐに実行に移した。
 その結果全身鏡に映ったのは、全裸で片方の靴下が半分脱げている男。靴下を履いている方の脚を持ち上げ揺らしてみる。だらんと伸びた靴下の先がぶらぶら揺れる。一瞬遅れて睾丸もぶらぶら揺れる。


冒完
険了


 だが当然のことながら、このことだけで「日常からの逸脱」がすべて行われたというわけではない。このように日常の何気ない瞬間には、「冒険」のチャンスはいくつも転がっているのである。その瞬間の煌めきを大切にしたい。チャンスの女神の後ろ髪をしっかり握りしめたい。そう固く胸に誓いながら、最後の靴下を脱いで洗濯機に放り込んだ。心からの満足感を味わいながら浸かった風呂の湯は、すっかりぬるくなっていた。