「浜には120人くらいだからって」


 火災はつねづね、とくに最後の花火が消えた瞬間にはなにか企んでる顔をしようと日々過ごしているわけですよ。そりゃもうみなさん以上に。でもいざやってみるとこれがなかなかうまくいかないのな。「なにか企んでる顔」をしようとすると、「企み度合い」が強すぎて、「あ〜!いまなにかエッチなことかんがえてたでしょ〜?」顔になってしまう。「なにか企んでる顔」をしようとすると、「企み度合い」が弱すぎて、「火災くんってけっこう無表情だよね〜」顔になってしまう。兎角この世はムツカシー。で、火災がいま真剣に弟子入り志願を考えて渋谷ビデオスタジオの前で張っちゃおうかしら?なんて考えているのが堺雅人さんで、堺さんの「なにか企んでる顔」力(ぢから)はハンパない。どんないいひとの役をやろうと、いつもなにか企んでるように見える。実はなーんも考えてないのになにか企んでるように見える。んで、いまの堺さんはオーエル人気を下地にして、なんかええ感じ、そして「ネクスト・ワン」とも称されているわけですけど、でも気をつけてほしい。いまの一種カルト人気が今後ブレイクしたとして、そのあとには必ずとゆっていいほど没落の道が待っているわけで、それは具体的にゆうと「2時間ドラマ」だったりして、堺さんは決して2時間ドラマに出てはいけない。なぜなら堺さんが2時間ドラマに出てきた時点で、世のおばさんたちはその至芸「なにか企んでる顔」のおかげですべからく「はは〜ん、さてはこのニイちゃんが犯人やな?」って思うから。犯人じゃないのに「犯人やな?」って邪推されるから。でも「犯人じゃないのにいっつも犯人だとおもわれちゃうひとの役」とゆう新機軸を開拓すればそれはそれで別にええんちゃうかと思う。そんなことよりも、この先火災に「最後の花火が消えた瞬間」なんてレアな瞬間が来るのだろうか?それも浜辺で。それもふたりっきりで。とゆうことを考えるほうがいそがしいのですから。