風邪ひいてしんどいから今日は「よりぬき火災くん」

 世の人々はやれ蛇が怖いだゴキブリが怖いだの矢鱈と或る種の生き物を怖がりがちである。そして勿論小生も又其の例外ではない。恥を忍んで申し上げる。決して笑うことなかれ、小生鳥類が怖い。其れも、鷲や鷹などの猛禽類に非ず。具体的に申し上げるならば、烏、其れから鶏が怖い。但し鶏については鶏冠其のものの形状のみが怖い。今斯うして書き記しているだけで小生の脳裏に其の映像が蘇り、背筋に悪寒が走る程である。然し、烏については、小生もう其の全てが怖い。
 読者諸兄皆ご承知の通り、小生井の頭恩賜公園の傍、魁庵に住み暮らしている。そして、其れ即ち通勤の為には小生毎朝公園の中を通らねばならないことを意味する。朝の井の頭恩賜公園、ご存じの方も多いであろうが、其処は烏の楽園である。観光客の出すごみは言うに及ばず、周辺住民が出す生活ごみが奴等の狙いである。
 当然のこと乍、小生の通勤路にも烏は多く出現する。其れが上空ならばまだ良いのである。小生心何ら乱すことなく、安穏に通勤できるのである。然し、彼奴等は地面、若しくは通路の手摺り上にちょこなんと留まって居ることも多いのである。全く憎らしい奴等である。そして、然るべき状態の烏と遭遇した際、もう既に小生の孤独な戦闘は始まっている。
 先ず小生が最初に行うべき行為としては、出来得る限り伏し目がちにするということである。決して眼を合わせない。とは言え、実際のところ眼が合ったところで何がどうなるものか、小生には判り得ないのではあるが。故にこの行動については、何となくではあるが、小生の「野生の勘」とでも言うべきものである。
 次に、出来得る限り早足で歩く。然し、決して走ってはならない。何故なら他の通行人からしてみれば、小生「逃げてる」と受け取られかねないからである。此処で万が一でも「弱虫」との噂が町内に広まりでもしたら、小生暮らしにくくて仕様がない。其れ故、飽くまで「通勤を急いでいる人」の体を装うのである。因みに小生此処では競歩の動きを意識している。
 そして、此処が最も肝心なのだが、前方の烏との距離が狭まるに連れ、足音を大きくするのである。小生此れはかなり意識的に行っている。都会に棲み暮らす烏の性根の図太さは相当なものとは聞き及んではいるものの、もしかするとこの足音に怯え、彼奴等は慌てて飛び立って呉れるやも知れぬ。いや、寧ろ飛び立って呉れ。お願いします。飛んで何処かへ行って下さい。小生其の一縷の望みに賭けているのである。然し残念なことに、飛び立つ烏はそう多くない。まさにその性根たるや風説通りである。図太いにも程がある。
 また、其の一部始終の間、烏のことを「考えない」のも重要な戦術であるとも言えよう。詰まり、出来るだけ他の事を考え続けるか若しくは何も考えないのである。小生がよく使用するのは、何も考えずに一心不乱に「ふんじゃかばんばん、ふんじゃかばんばん」と唱え続けることである。因みにこれはキロロの二人から教わった方法である。此れが小生の経験上思考が最も無になる戦術である。
 伏し目がちの早足で「ふんじゃかばんばん」と唱えながら烏の傍らを擦り抜ければ、もう小生の勝利である。顔を上げ、通常の歩行速度に戻す。額の玉のような汗をハンケチでゆるりと拭い、意気揚々と駅に向かうのである。只、背中に流れる冷や汗を拭えないのが返す返すも残念ではあるのだが。嗚呼小生烏の次は、背中に張り付くシャツの気持ち悪さと戦わねばならないのである。一難去ってまた一難、である。



 烏らに 出会った小生 めちゃチキン

                      火災翁